契沖阿闍梨
契沖の歌碑案内
碑表には古学の祖、契沖阿闍梨(けいちゅうあじゃり)(古典研究の道を開いた契沖。阿闍梨は密教の修行を完了し法を伝える資格をえた僧の位)「氷」の題で詠んだ歌“しなが鳥けさや氷もゐな河の山彦とよむ音も聞こえず”(冷込む今朝は、あの猪名川にも氷が張って、いつもなら、山に反響してごうごうと流れる河音も聞こえないことだよ。)しなが鳥は猪名川の枕詞。猪名川の「ゐ」と「居る」を掛けて詠んでいます。契陣の歌集『漫吟集類題(まんぎんしゅうるいだい)』の中から、尼崎の地名を詠んだ歌を選びました。なお、この碑を当寺“移建の由来は碑裏に記しています。 契沖研究会
契沖は、寛永十七年(1640)尼崎藩の武家屋敷に生まれ、元禄十四年(1701)大阪の円珠庵(えんじゅあん)で、六ニ歳の生涯を閉じます。契沖は真言の秀れた修行僧でしたが、その高名は、水戸光圀(みとみつくに)から依頼された『万葉集』の注釈書『万葉代匠記(まんようだいしょうき)』などにおいて、従来にない論理的実証怯を確立した事。また、美しい伝統的日本語を守るために『和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)』などで正しい日本語を体系化して、「歴史的かな遣い」の基いを作った事によると言われています。
参考
_契沖研究会