沿革/境内案内
大覚寺身振り狂言
毎年二月三日節分の午前十時から午後七時まで「大覚寺身振り狂言」の上演と「豆まき」が行われます。
大覚寺芦刈からくり堂
大覚寺ゆかりの能楽『芦刈』にちなんだ「芦刈からくり堂」「芦刈からくり人形」の上演を行います。
船弁慶からくり御籤
参拝者の皆様に、実際に紐を引いて江戸時代伝統の「からくり人形」の操作を体験して頂ける「おみくじ」でございます。
平成28年に完成した「芦刈からくり堂」に引き続き、〖からくり人形師・九代玉屋庄兵衛師〗に制作頂きました。
境内施設
大覚寺の境内施設のご案内です
授与品
大覚寺の授与品のご案内です
月峯山大覚寺
現存する尼崎最古の古刹です。本堂以下の建物は明治十年の大火で消失し、再建されたものです。寺伝によれば推古十三年(六〇五)聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じて長州の浦に作らせた寺と伝えられています。
大覚寺は正和二年(一三一三)から天正十七年(一五八九)に至る、中世文書五十六点の「大覚寺文書」(兵庫県指定文化財)を含む多数の古文書を所蔵しますが、この中に「大覚寺縁起絵巻」があります。
この「大覚寺縁起絵巻」は、米国ワシントン・フリーア美術館所蔵の「槻峯寺建立修行縁起絵巻」の下巻を写したもので、その内容を要約しますと、日羅上人が長州の浦の浦人から北方に光を放ち、この長州の浦を照らす稀代の霊地があることを聞き、光明の跡を辿り浦人とともに山に分け入り、聖徳太子の命によって、浦人にこの光を放つ槻木(けやきの一種)の霊木を切らせたところ、生身の千手観音が出現し、そこに寺を建て、槻峯寺と呼ばれましたが宣旨を蒙って、月峯寺とされたということです。
長州の浦の人々は、山の霊地にお参りに行くには遠く容易ではないので、長州の浦に伽藍を建て、燈明をかかげて、ここより遠拝するようになったと、述べられています。この燈明を掲げたお堂が大覚寺の母体である「灯炉堂」です。
1.大覚寺の開基
月峯山大覚寺の開基は、土佐光信作『槻峯寺建立修行縁起絵巻』(フリーア美術館蔵)に描かれます様に、推古13年(605)聖徳太子が、百済の高僧日羅上人に命じて瑞光に輝く長洲の浦に建立された「灯炉堂」で、尼崎に現存する最古の古刹です。
2.大覚寺の開創
月峯山大覚寺の開創は、南朝大覚寺統・亀山上皇、後宇多天皇の御世が始まった建治元年(1275)東大寺戒壇院円照上人の弟子、中興・琳海上人により能勢・剣尾山の月峯寺の遙拝所である、長洲の「灯炉堂」の地に開かれました。
3.南北両朝の天皇方と大覚寺
琳海上人は宮中において、北朝持明院統・後深草天皇の病気平癒祈願やその皇子後伏見天皇の中宮広義門院西園寺寧子ご懐妊に際し、光厳天皇ご生誕の祈願なども勤め、南北両朝の天皇方と深い関係が有った様です。
4.大覚寺の寺紋・寺号・山号
大覚寺には中世文書56点を含む『大覚寺文書』(県指定文化財)が保存されていますが、正和10年(1315)の「大覚寺絵図」には、下鴨社領長洲御厨内にあり、百済様式の金堂、講堂、三重塔や鐘楼、僧坊を備えた朱塗りの大伽藍に、門前には湯屋や市場も備えた姿が描かれています。この時、皇室守護の「葉菊紋」(二枚の菊の葉で十六弁菊花の天皇家をお守りする姿)の寺紋と後宇多天皇が再興された京都嵯峨大覚寺に由来する寺号を賜り、その山号は能勢の剣尾山山頂の月峯寺(槻峯寺)に由来すると言われています。
5.都と瀬戸内を繋ぐ拠点の地
旧淀川の河口に位置したことから、瀬戸内海と都を結ぶ水運の拠点として、また、大覚寺の山伏が焚く「柴燈護摩」の狼煙により、能勢・剣尾山、京都・愛宕山の2点を経由して、京の都に瀬戸内の変事を伝える役割を担っていたようです。
6.足利幕府と大覚寺
室町幕府第二代将軍足利義詮公が半年間在陣したことから「大覚寺城」と呼ばれ、政治・経済・文化・軍事の中心に成っていた様で、鷺洲荘:(大阪市西淀川区)、富島荘:(常光寺・杭瀬・梶ヶ島、)大洲荘;(尼崎・大物・長洲・金楽寺)の支配権が委託され、足利将軍の天下静謐の祈願状なども残っています。
7.『平家物語』と大覚寺
大覚寺門前の市庭は琵琶法師の職能団体である「当道座」を組織した、覚一検校をはじめとする琵琶法師の活動の拠点の一つで、「覚一本平語相伝次第」と呼ばれる『平家物語』の伝来に関わる文書なども伝えています。
8.近世「尼崎城」と大覚寺
元和3年(1877)近世「尼崎城」築城に伴い現在の寺町に移転しました。当初「尼崎城」は大覚寺の寺域にあったことから「大覚寺城」とも呼ばれ、徳川幕府老中もされた尼崎藩主青山公は大覚寺の寺紋である「葉菊紋」を尼崎青山家の家紋としてお使いに成りました。現在東京に尼崎藩青山家下屋敷が有った場所に「青山」の地名が残ります。
9.大覚寺節分会
毎年節分の日には「大覚寺身振り狂言」(兵庫県ふるさと文化賞)が奉納され、大阪張子の「金天姫だるま」(昭和40年代廃業の為、京都で制作)に、江戸時代北前船で尼崎の港に運ばれた白板昆布の着物を着せた、開運厄除の縁起物「昆布だるま」(兵庫県郷土玩具)や能楽「芦刈」にちなんだ「芦刈の破魔矢」が授与されます。京都祇園祭では世阿弥の能楽「芦刈」に取材した「芦刈山」が巡行しますが、能楽「芦刈」の舞台である大覚寺では「芦刈からくり堂」で、九代玉屋庄兵衛師制作の能楽『芦刈』を題材にした「からくり人形」の上演があります。